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©️ Nobuhiro Shibayama
空間
むかしむかし岩手の古民家が箱根に移築竣工していました。
ムカシのミライから始める。
2004年「箱根の家」は誕生。その後の2011年3.11で大半の気仙地方の古民家は消失してしまい、それを乗り越え二期工事終了(2016〜7年)。日本の地方を旅しながら考え、そして大好きな真の箱根に住み、大好きな気仙大工の大きな古民家に住みながら、日本古民家に潜んでいる技術、文化を再解釈した未来への住み方、暮らし方に魅かれています。例えば家の基礎全体に巨大なコンクリの基礎基盤を全体に弾き詰めた安心な構造です。これは国内において地震が多いことを予測してます。そして江戸時代の日本の大木をほぼ100%使っています。これも東日本大震災の様な巨大津波が到達しないかもしれませんが日本古来の建築技術を使っています。また昔からの釘を極力使わなく組み合わせ構造だったりしています。
標高790mのこの場所は、芦ノ湖を見下ろす絶景の地であり、多くの一流ホテルが次々と建設され始めています。この地域は、由緒ある箱根町箱根の区画で、芦ノ湖に近いこの古民家まで、そのため、この土地には特別な魅力があります。また、敷地面積860坪のこの土地には、下側と町道との2つの道もあります。そしてこの家からは電線ケーブルが全く見えません。昔のままのスタイルなのです。
ここから東京駅へのアクセスはここから 自家用車で小田原駅まで移動し、その後新幹線を利用して、全行程で約1時間ほどです。これがアーバンカントリーの由縁です。
コワーキングスペースを提供しています。2杯のコーヒー付きで3時間まで4千円、利用時間はAM 9時~PM 3時です。古民家や仕事のアイデア、箱根の情報収集に最適です。コミュニティ作りも進めたいと考えていますのでよろしくお願いします。
Kominka in Hakone
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築190年の気仙大工の古民家を2004年に移築・改修。この古民家の発祥の地は岩手県。その古民家を岩手で丁寧に解体し、箱根の芦ノ湖を臨む場所に移築しました。しかし、岩手にあった気仙古民家達は超巨大地震(2011年3月11日)でほぼ全壊してしまいました。しかし不幸中の幸かな、この古いのに新しい古民家はその2011年3.11以前の地震が起こる前に箱根に移動していました。これは2003年末に当時にムカシの家を運んでよかったところです。(この古民家が建つ箱根町箱根では3.11の時の大地震の時には標高が高く箱根のこの家が建つ屏風山等が地表からの大地震のショックを受け入れるクッションになり何も崩れたり壁から落ちてはいなかった。)
大谷翔平選手⚾️の岩手県、江戸後期の古民家を真の「箱根町箱根」に移築して
ZEKKEIと名付けました。
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写真撮影:藤塚光政、図版柴山信広
「ムカシのミライから始める。」
大昔から共存、共生によって作られた文化の日本。江戸時代には釘を使わなくても民家やお寺や橋や神社は建っていて、そのいわゆる古い建物は今でもこれからも残り続けるでしょう。100年住宅と言って建てた物が何十年で駄目になる話しがあります。湿気が多いからとか言っているけれど使っている木が違うからです。根本的に木に力が無いからなのです。急いで生やしている木や安い木を輸入して使っているからです。昔の木という物は戦争で焼け野原になる前はしっかりとした、かつての出雲大社の境内から発見された巨大な柱のように日本の大木をかなめ要に使って民家を建てていました。しかし残念ながら現代は日本家屋が輸入した安価なパイン材を90%使っていました。地球から森の木を私たち日本が消滅させているのです。この家は江戸時代の日本の木を使っていて嬉しく思います。
江戸時代までは『箱根』という所は芦ノ湖のここにしかなく、今や小田急の終点の湯本は明治時代に小田原になりそうなっていました。箱根というのは標高790mのこの山の上の地が本当な場所なのです。
この様にして都心と近いアーバンカントリーである『箱根町 箱根』という真であり本当の箱根に住みながら日本人のミライに、このムカシ建てられた岩手古民家を連れて住むことが出来て心から嬉しく思います。
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「気仙沼周辺で岩手県の古民家が神奈川の箱根に。」
1996年後半から古民家を探す旅をはじめました。仕事の合間に50件程見たでしょうか。 東北地方の気仙大工の作った約180年前後の貴重な古民家を発見しました。その後この古民家をどうにか残したいと思い、芦ノ湖を見下ろす斜面に 現代の建築と古木の融合する新しいスタイルで移築しました。しかしその後に残念なことに東日本大震災で陸前高田にある気仙大工の家は多くを失いました。 この古民家は気仙大工が幕末から明治につくった貴重な家屋の一つで「ハイテク古民家」として箱根に2004年に移築再生しました。(ハイテクとは「ハイ テクノロジー」の略で次の時代の社会に大影響を及ぼすような分野での先端技術。)
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「古民家を現在に生かす。」
二期工事を終え柱や梁を磨いてみて、全く劣化する事なく力強さは健在で、それらが帆布によって守られていました。その帆布に囲われながらも光溢れるオープンな場所にもなっています。奥まって囲われた暗さのある場所、オープンで明るい場所、天井の闇とともにある場所、そういう三つの場所を内包する空間という関係が成立したと思います。
2Fデッキエリアと廃水坑。
2F客間の天井部分。
巨大な梁を支える為、崖から生えた幹を使用。
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「ひっそりと大胆に富士山ともども。」
カーツーリストが目の前なのに省く道。それは箱根駅伝で有名な国道一号線と732箱根旧街道の頂である合流のカーブから始まる。それが逆さ富士地区のドンキンの道。まさに真の箱根で箱根町箱根である。擦れ違い二車線ちょっとの道は両サイドに人生豊かな人々がひっそりと時に華やかに暮らす。実はここに白濁した温泉の小道が我が家の桜を通して 芦ノ湖を見下ろすように通る。さらに家の入り口へはまた別に海抜790mの奥まった専用の道が密かにたたずみ帰りを待つ。喧騒を離れた隠れ家へ続く。約859坪の敷地からは富士山と芦ノ湖箱根神社を望み鐘の音が響く。湖から見ると屏風山に一筋の別荘群が見え花火の日は早朝から陣地をとる。朝の散歩の恩賜箱根公園が魅力的な展望が待つ。(ドンキンとは大正頃のドンは禁止、つまり鉄砲は禁止であるという意味だそう)
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「気仙大工とは」
岩手県気仙郡地方(仙台藩)に古来より優秀な技術をもつ大工集団です。江戸時代から稼ぐ為に大工集団を形成して神社仏閣、細工、そして民家をこなす多様な集団です。断崖絶壁に近い地方に住んでいた為、大工になるのが早かったのです。特に明治以降は東北本線の開通により関東地方、遠く大陸の家屋まで手掛けました。あの銀座にありますリニューアル前の歌舞伎座もそうです。また大阪城天守閣の復元などでも活躍しました。このように優れた集団の築きあげてきた気仙大工の伝統技術を後世に継承し、より発展をはかることが出来たら本望です。
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この古民家のすぐ近くより富士山を見る。
2021年に煙突と薪ストーブを JOTUL(ヨツール)の一番大型の新品にしました。
上は1991年に見つけたアフリカの鍋。
2019年令和元年四月の専門誌の記録インタビュー
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東京で育ちましたが、芦ノ湖を見下ろす場所にある大規模ホテルが次々と建てられている
箱根町箱根という地に住んでいます。ここは標高が高く適度な過疎地でアーバンカントリーです。
日本人が考えた家と庭がセットになった「家庭」という言葉は本当に素晴らしいと思います。
これが誰かの役に立つことを願っています。
この古民家の庭:箱根では長年農園は無理かもと言われて来たが、
こうやってトマト、シシトウ、キュウリ、トウモロコシ、その他ハーブ類が出来る。
下図面の二区画が庭が2840.46²で約859坪になる。左上の町有道と下の私道がこの庭に隣接している。
この家の駐車スペースは町道の終点で関係者だけが使える終わりの地点です。
84坪
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