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始まり

Story 1

​。

私達は
北上するように古民家を
たくさん探しました

解体される運命の古民家なんとか出来ないのかな?これが始まりでした。

東北方面に向かい古民家探しが始まりました。日本の文化と暮らしを包み込んでいた古民家を古臭く考えていた時代背景から古民家が無価値ではないと証明でき、それが受け入れられれば人に与える何かがあるのだと思いが基本にありました。人生の中で家を建てる事は一生に一度あるかないかなので、素人ながら色々と調べ、実行してきたことや、学んだ事の体験をお伝えしたいと思います。

古民家を探そうと思ったのは、鎌倉にあるJAZZが流れる喫茶店に行ったことから始まりました。古木の空間に何だか懐かしさと、優しさを感じ心が癒されたのでした。見渡すと古木がうまくアレンジされて空間のアクセントになった古民家喫茶店でした。結局長居をしたわけですが、そうやって色々なお店を見るとイタリアレストランでも古木を使い古民家の暖かさを感じる空間が目に入ってきました。あるときに​古民家を改造した美術商を訪れたのがインパクトを与えました。一階の大きな窓が横ではなく縦に開いたのでした。まるでベンツSLS AMGのようでした。これらが切っ掛けで家を作るなら古民家を基本に空間をリノベしたような家に住みたいと考えたわけです。そうやって母体となる古民家探しを始めたわけです。

東北方面を北上するように古民家を譲っていただける家はないものかと1990年後半から旅をしながら50件程見たでしょうか。​北上する程太い部材を使っている事が分かりました。これは大変で車で見ながら東北地方を走りながら見て行くわけです。当時は手がかかていない古民家のとなりに現在の家があるとピンポンを押して持ち主と話をはじめました。これでは先に進みませんでした。それで知った日本民家再生協会(JMRA)に入会し協会を通じ、東北在住コーディネータの佐々木さんに力を貸していただきました。色々見て岩手県一関市藤沢の農家さんから古民家を譲り受けました。

現在は神奈川県 箱根町に移築再生をし現存しています。この家は気仙大工という日本の匠で三代名工集団が作った農家の家がオリジナルです。気仙大工とは藤原三代率いる有能な大工を奥州(現在の岩手から仙台あたり)に集結させ活躍させ集団化させたと聞いたことがあります。今の言葉では立派なギルド集団で日本が誇るブランドで匠です。

しかし残念なことに東日本大震災で陸前高田にある気仙大工の家は多くを失いました。このオリジナル古民家は東北の神社仏閣や民家作りに大きく貢献したその気仙大工が幕末から明治にこさえた貴重な家屋の一つです。多分その地に根付き子孫を残し大工技術を伝承しな がらの岩手の藤沢町の古民家になります。箱根に古民家移築再生を今、現存していることは本当に神の思し召しだと思います。

失われつつある和の心を形にした故郷という原風景。それは私たちの日本人の眠るアイデンティティーを呼び起こさせ生活と気持ちのバランスを回復させる力があると思います。当時の伝統技術を保つ建築物を進化させ残したいという私たちの思いは強かったのです。これは歌舞伎という古典が新たに解釈され「スーパ歌舞伎」と誰にも受け入れやすく古典が再構成されるようにと思ったからです。

またこの家を移築再生するにあたり、およそ170年前の古木を解き、材木にナンバリングし、現地で図面を一旦作成し鋳型を明確にし、建築家が空間を再構成すること。しかしそれだけでは平地に建てられていた家屋を芦ノ湖を見下ろす斜面に移築することは古民家移築の水平移動だけの技術では難しいと考えていました。 そこで私はハイテクな古民家は如何だろうかと思いました。

 

これは景勝地という斜面に未来志向の古民家を強固に再生し住むことです。結果気仙大工の骨格は出来るだけそのままで、でも新しい空間をと模索してきた考えです。これは同時に日本という山々が高度の70~80%も締める国土への有効的な活用法へのアプローチは世界各地に存在する斜 面に存在する自然発生的な文化遺産を思い出させます。また現代の建築と古木の融合を創り出す考えによって斜面に家を埋め込むという土地の形を生かしたものです。またコロナで都心を避け敢えて住みたい​所に家を立てる人も多く成って居るようです。

日本の国土の70~80%の斜面を生かした民家になったと思います。

「コロナと共に生きる」新たな生活。好きな場所と空間に住み始める。

どこに住でもどんな家でも、良い時代の到来が始まっています

斜面のZEKKEIはそんなあなたを応援します。